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聞いてみなければ解らない!人物インタビューシリーズ 第27回

『徳玖山(上海)管理有限公司、徳玖山国際貿易(上海)有限公司  宇佐川 直幸 董事長兼総経理 インタビュー!』2015/6/8


 
徳玖山(上海)管理有限公司、
徳玖山国際貿易(上海)有限公司
宇佐川 直幸 董事長兼総経理


  ●  異なる業務を任されるたび、新しい知識を学んで積極的に提案

  ●  仕事の評価は、(知識+知恵)×行動力

 

(弊社インタビュアー)(以下弊社)

1918年の設立から97年にわたり続く老舗の化学会社である株式会社トクヤマ。当時輸入に頼っていたソーダ灰の国産化を実現し、日本の化学工業の発展とともに成長し、現在では半導体関連製品の情報・電子分野、ファインケミカルや診断システム・歯科材料など生活・医療分野、半導体及び太陽電池用途の多結晶シリコンや資源環境事業の環境・エネルギー分野など様々なフィールドに事業を展開しています。そのトクヤマグループの中国における中核企業である徳玖山(上海)管理有限公司、及び徳玖山国際貿易(上海)有限公司の宇佐川董事長兼総経理にインタビューをしました。

 

◆◆◆  【創業者 岩井勝次郎のDNAを今に受け継ぐ】  ◆◆◆

(弊社)

はじめに、トクヤマグループの沿革についてお聞かせ下さい。

(宇佐川董事長・総経理)

トクヤマは、1918年に岩井勝次郎により当時輸入品に依存していたソーダ灰の国産化を目指して日本曹達工業株式会社を設立したことに始まります。1936年に本拠地のある山口県徳山町(現周南市)の地名から名前をとり社名を「徳山曹達株式会社」に、1994年に社名を「株式会社トクヤマ」に変更し現在に至ります。弊社は日本の化学工業の発展と共に、さまざまな化学製品を製品群に加え、現在では半導体関連製品の情報・電子分野、ファインケミカルや診断システム・歯科材料など生活・医療分野、半導体及び太陽電池用途の多結晶シリコンや資源環境事業の環境・エネルギー分野を主なフィールドとして事業を展開しています。株式会社トクヤマの資本金は約534億円、2014年度連結の売上げが約3,021億円、グループ会社は87社、従業員数5,852名となっています。

(弊社)

現在でも創業者である岩井勝次郎氏との結びつきが強いようですが。

(宇佐川董事長・総経理)

岩井勝次郎は1863年に京都府で生まれ、13歳の時に大阪で商店を開いていた叔父の岩井文助の下に丁稚奉公に出ました。その後1896年に独立し岩井商店を設立します。1918年には生産分野へ進出し、弊社の前身である日本曹達工業株式会社を設立しました。岩井勝次郎が作った、あるいは、関与した会社として弊社の他に、双日、トーア紡コーポレーション、日新製鋼、ダイセル、富士フィルム、関西ペイント、日本橋梁、日本発条等があり、これらの会社は岩井勝次郎ゆかりの親睦組織「最勝会」として毎月東京で集まりがあります。「最勝会」の名は、岩井勝次郎の戒名「最勝院大徹無居士」を元に名付けられました。岩井勝次郎の経営理念である「商人である前に人間であれ。ひたすら利益を求める誇大な自己宣伝でなく、人や商品から溢れ出る魅力によってこそ、自ずから人や顧客が集まり利益もついてくる。」という精神は、現在も最勝会企業に受け継がれています。勝次郎はまた禅を嗜み、経営に禅の精神を取り入れ自ら律することで、第一次大戦後の反動不況やその後の恐慌を乗り越えることができたといわれています。勝次郎は晩年、京都府長岡京市に禅道場である長岡禅塾を設立しました。私も一度、禅を組みに訪れた事があります。

 

◆◆◆  【異なる業務を任されるたび、新しい知識を学んで積極的に提案】  ◆◆◆

(弊社)

宇佐川董事長・総経理の経歴をお聞かせ下さい。

(宇佐川董事長・総経理)

大学では計量経済学を専攻し、1976年にトクヤマへ入社しました。入社時に人事部教育課へ配属され、そこで3交代も体験しました。技術系の社員は全員体験するのですが、なぜか事務系の私も参加する事になりました。当時、1勤の時は昼間に時間があったので、よく会社の図書館で勉強しました。同年7月に人事部調査課へ正式に配属され、そこではホストコンピュータを活用しながら、ボーナスの予測、同業他社との個別人件費の比較表を作成したり、社内報で会計学の解説を載せたりしていました。この当時はまだ若かったので、毎日お酒を飲んで、給料の大半は酒代に消えていましたね(笑)。
人事部調査課へ配属されたのも束の間、半年後には経理部へ異動になりました。ここでは、経理の中でも原価計算と予算の仕事を担当し、その間、財務管理士の資格を取得しました。この当時、熱力学の勉強もして、工場内にある発電所の原価計算の方法を変更しました。どう変えたかを簡単に言うと、単純な熱量から仕事量を勘案したエンタルピーからエクセルギー方式に変更したわけで、現在もこの計算方式が使われています。

(弊社)

その後、工場勤務から東京勤務へ移られたそうですが。

(宇佐川董事長・総経理)

1979年に東京勤務を命じられました。東京では営業を担当することになりましたが、当時、東京本部が最北の営業拠点だったので、東北・北海道地域も東京本部がフォローしていました。出張に行くと、東北・北海道にある顧客を回ることになるので、1週間も東京へ帰れない事がよくありました。また、東京勤務時代に、除湿剤の商品化を提案し、実現しました(「水とりぞうさん」後にオカモトへ事業譲渡)。その後、化成品事業部の営業から企画へ異動となり、アメリカ、中近東、豪州の市場情勢を分析しながら事業をどう進めるか考える日々でした。そうこうしている中、コンピュータシステムの再構築プロジェクトに配属され、業務改革とシステム化に従事しました。システムが出来上がると、教育が必要になるので、100ページくらいのマニュアルを作り、日本全国の支店や営業所、工場に説明して回りました。この時、社内の様々な人と知り合いになる事が出来たのは今でも貴重な財産だと思います。システム再構築がひと段落した1992年に事業部へ戻り、半導体液晶向けの高純度薬品と装置の販売を行うSECシステム営業部へ配属されました。当時、半導体の全盛期で、韓国、アメリカ、東南アジアへよく出張に出かけました。この時、化学・物理の勉強をよく行いました。

(弊社)

その後シンガポールへ赴任されることになった経緯は。

(宇佐川董事長・総経理)

94年12月に、人事部から次はアメリカへ行くように言われました。そんな中、95年1月に当時の常務を伴ってシンガポールへ商談に向かいました。そこで現地のクライアントから、「あなたの会社はシンガポールに拠点が何もないのに、どうやって商品を売るのか。」と尋ねられた際、常務が、「それではシンガポールに会社を作るので買って下さい。」と答えてしまいました。ちょうどその時、社長も別件でシンガポールに出張があり、帰りの飛行機が同じ便だったので、その機内で常務から社長に経緯の説明があり、社長もそれならシンガポールに店を作らないといけないという話になりました。シンガポール出張から帰国後に突然、人事部から呼ばれ、アメリカの話は白紙に戻し、代わりにシンガポールへ赴任して、店を作るように言われました。

(弊社)

突然のシンガポール赴任では、どの様な業務をされましたか。

(宇佐川董事長・総経理)

95年7月からシンガポールに赴任しましたが、拠点が何もないので駐在員事務所から設立することにしました。96年には製造会社と販売会社の2社を設立して、早速工場の建設を開始し97年には竣工しました。当時は東南アジアの出張が多く、華僑やイスラムの方、ヒンズーの方など、様々な異人種や異文化に触れることが出来たのは貴重な体験でした。シンガポールでは2002年までの約7年間駐在しました。

(弊社)

シンガポールでのビジネスを経験され、日本のビジネスとの違いは感じましたか。

(宇佐川董事長・総経理)

人の性格面でいうと、皆さん明るくラテン系のノリでした。シンガポールは英語が通じますが、いわゆるシングリッシュと言われる独特の訛りがある英語を理解するのに苦労しました。ビジネス面でいうと、当時の日本の半導体会社は保守的で、既存の技術・生産方法をなかなか変更しようとはしませんでした。それに対して、東南アジアの会社は、良いと思えば新しいものを積極的に取り入れる風土がありましたね。その時初めて日本を外から眺められて、非常に良い経験をしました。

(弊社)

2002年に日本へ帰任されてから、現職に就かれるまでの期間は、何をされていましたか。

(宇佐川董事長・総経理)

2002年に日本へ帰任し、経営企画室へ配属されました。ここでは経営管理に関与し、グループ会社の設立から清算までも経験しました。当時は出張がとても多く、3日に1回は飛行機に乗っていました。その当時、海外での経験を踏まえ、地域統括会社(RHQ)の設立を提案するも、残念ながら受け入れられず実現しませんでしたが、10年後の2013年にようやく中国で最初に実現する事になりました。2006年から2008年まで再び事業部に異動し、Si事業に関わりました。その後、経営企画室に戻り、2010年から初の支店勤務として、大阪支店長に就任しました。着任早々、組合問題で紛糾するなど、ここでも貴重な経験をすることができました。大阪支店長時代には、10%ルールを適用して、横串のプロジェクトとして、各部門から人を出してもらい、大阪支店発の新規事業プロジェクト、オフィス改革プロジェクトを打ち出しました。2011年の東日本大震災を機にオフィス改革の一環として中之島にある現在のオフィスへ引っ越しました。2013年には新第一塩ビ株式会社の社長に就任し、2014年6月に徳玖山(上海)管理有限公司及び徳玖山国際貿易(上海)有限公司の董事長に就任し、10月から赴任しています。2015年4月から総経理も兼任しています。

(弊社)

トクヤマグループとして、中国ではどの様な製品を生産されていますか。

(宇佐川董事長・総経理)

中国のグループ会社についてご紹介しますと、徳山化工(浙江)有限公司では主に乾式シリカを生産し、上海徳山塑料有限公司、及び天津徳山塑料有限公司では紙おむつのバックシートを生産しています。フィガロ技研は天津と上海の松江に工場、弊社と同じビルのフロアに販売会社があります。主にガスセンサー及びそれを組み込んだ警報機器を製造販売しており、世界で多くのシェアを持っています。他に、瀋陽では主に血液を分析する装置を製造している東軟安徳医療科技有限公司という合弁会社を設立しています。これらの製品はほとんどが中国向けとなっています。

 

◆◆◆  【仕事の評価は、(知識+知恵)×行動力】  ◆◆◆

(弊社)

化学会社にとって経営上大切なことは何だとお考えですか。

(宇佐川董事長・総経理)

化学会社は、技術力、開発力がポイントになります。そのためには優秀な技術者が必要で、そういう人たちが仕事のできる環境を整え、設備投資を継続し拡大再生産を続けることが大切です。化学会社は無から有を生み出すとも言え、それには、先見力、感性、発想力が必要で、会社風土と経営力が重要な牽引力となります。

(弊社)

文系出身で化学会社に就職され、ご苦労もあったかと思います。企業人として仕事を評価するうえで大切なことは何だと思いますか。

(宇佐川董事長・総経理)

私は文系出身で化学会社に入社しましたが、文系と理系の差は何かというと、大学の4年間で決まるんですね。高校まではほとんど同じで、大学で理系と文系に分かれます。そして会社に入るとまた同じになる。4年間の差がその後の人生を分けることになると言えます。たった4年間ですが、大きな差だと感じますね。私の場合、文系の弱点であるサイエンスの知識を学ぶことが必要でしたし、それだけでなく文系の専門知識の研鑽も必要で、人生は一生勉強だと感じています。そして、企業人としての仕事の評価は、(知識+知恵)×行動力という式で表すことが出来るのではないかと考えています。知識や知恵だけではだめでその両方が必要です。そこに行動力が伴って初めて仕事として評価できるのではないかと思います。

(弊社)

最後に、今後の中国での展望をお聞かせ下さい。

(宇佐川董事長・総経理)

事業展開する上で国の方針に合致し、中国にとって役に立つものという観点で考えています。これから中国経済は「新常態」へ向かうなか、環境・省エネ、医療、高付加価値化に目を向けており、これらの分野にビジネスチャンスがあると考えています。例えば、乾式シリカについては通常のグレードの製品は既に中国企業も生産していますが、弊社はより高度なグレードの製品を中国で生産するなど、高付加価値の製品で対抗しています。ほかに、工場の廃液処理や食塩の製造に役立つイオン交換膜は中国で伸ばしたい製品ですね。ちなみに日本で製造されている食塩は全てイオン交換膜で製造されているんですよ。また、湿気は通すが水は通さないという性質のNFシート(紙おむつ用がメイン)も中国市場を注視しています。

(弊社)

宇佐川董事長・総経理の経歴を伺う中で、人事、経理、営業、海外事業の立ち上げなど毎回分野の異なる部署や業務に異動するたび、そこで新しいシステムや新規事業を提案し実現されている学習力と行動力に驚かされました。昨年10月から中国に赴任された宇佐川董事長・総経理が、中国でどの様な新しい事業を打ち出されるか次の一手が注目されます。

 

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 【宇佐川 直幸(うさがわ なおゆき) 氏のプロフィール】

 1976年大学卒業後、株式会社トクヤマに入社。工場勤務では人事部、経理部と経験し、東京勤務へ移り営業、コンピュータシステムの再構築等を担当。その後シンガポール社長、本社経営企画室、大阪支店長、新第一塩ビ株式会社社長を経て、2014年6月より徳玖山(上海)管理有限公司、及び徳玖山国際貿易(上海)有限公司の董事長に就任。2015年4月より総経理を兼務。

 

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 【徳玖山(上海)管理有限公司、徳玖山国際貿易(上海)有限公司 様 会社情報】

徳玖山(上海)管理有限公司
徳玖山国際貿易(上海)有限公司
上海市威海路511号上海国際集団大厦1003室
Tel(021)6218‐1177
FAX(021)5382‐2894
http://www.tokuyama.co.jp/

 

創業者 岩井 勝次郎
創業者 岩井 勝次郎

徳玖山(上海)管理有限公司、徳玖山国際貿易(上海)有限公司  宇佐川 直幸 董事長兼総経理1
宇佐川 直幸 董事長兼総経理1

  

徳玖山(上海)管理有限公司、徳玖山国際貿易(上海)有限公司  宇佐川 直幸 董事長兼総経理2

宇佐川 直幸
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トクヤマエレクトロニックケミカルズ(シンガポール)

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ライフアメニティーセグメント

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