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聞いてみなければ解らない!人物インタビューシリーズ 第48回

『平田機工自動化設備(上海)有限公司 平田 正治郎 董事長 インタビュー!』2017/12/29


 
平田機工自動化設備(上海)有限公司
平田 正治郎 董事長


  ●  リヤカーから世界の生産設備メーカーへ

  ●  人材の現地化を推進しても日本式の業務の進め方は変えず

 

(弊社インタビュアー)(以下弊社)

開発・提案、設計、製作、試運転、生産立ち上げまでのソフト・ハードのエンジニアリング力を持ち、生産エンジニアリングと「ものづくり力」という総合力を持ち合わせた世界的にもユニークな企業である平田機工株式会社。その中国現地法人で董事長として経営を指揮する平田正治郎董事長にインタビューしました。

 

◆◆◆  戦後、熊本でリヤカーの製造販売からスタート   ◆◆◆

(弊社)

平田機工株式会社の沿革と業務内容についてお聞かせ下さい。

(平田董事長)

1951年に、リヤカーの製造及び販売を目的として熊本県熊本市に平田車輌工業株式会社として創業しました。その後、ベルトコンベヤやスラットコンベヤの生産を始め、その技術をもとに、64年には当社初のテレビ組み立てラインを納入した松下電器さんに認められ、事業が拡大するきっかけとなりました。さらに70年代には、世界で初めて水平式のスカラロボットを開発し、ベルトコンベヤにスカラロボットを着けて自動化設備として販売、これが大ヒットしました。79年には自動車メーカーから最初の組立ラインを受注、80年には初めてアメリカに海外子会社を設立し、その後ドイツ、シンガポールに進出しました。そして99年に中国で合弁会社を設立し06年には独資として現法人を設立しました。

(弊社)

去年、東京本社を創業地である熊本に移されたそうですが、どのような理由からでしょうか。

(平田董事長)

元々は創業地である熊本に本社がありましたが、会社が大きくなり徐々に海外のお客様が増えてくると、熊本と言っても皆さん知りません。東京の平田と言えば海外のお客様にもわかりやすくアピールになると考え、81年に東京に本社を移しました。本社移転後も本社機能は引き続き熊本にあったため、いつか熊本に戻しても良いのではないかとう話は社内でありました。そこに2016年4月に発生した熊本地震をきっかけに、我々は熊本の会社だから熊本に本社を戻そうと決意しました。

(弊社)

創業家である平田家は、起業家の家系だと聞いています。

(平田董事長)

先祖は福岡辺りの豪族でしたが、曽祖父の代に福岡で造り酒屋を創業しました。ご存知の通り、美味しい日本酒は寒い地方でしか作ることが難しく、当時の福岡で美味しい日本酒を作ることができませんでした。そこで曽祖父は福岡でも美味しい日本酒を作りたいと一念発起し、全財産を投じて日本酒作りに試行錯誤を重ね、ついに美味しい日本酒の醸造に成功しました。福岡の城島という地域で造り酒屋を創業し、一族は大変栄えました。今も当時からの蔵元が残っています。

(弊社)

福岡の城島といえば、日本でも有数の酒どころとして有名ですが、平田董事長の曽祖父が創業されたのですね。なにやらすごい一族ですね!

 

◆◆◆  部門トップは現地社員に任せ、駐在員はサポート役に徹する  ◆◆◆

(弊社)

中国法人の沿革と事業内容についてお聞かせ下さい。

(平田董事長)

中国への進出は1999年に合弁会社の設立が最初です。その後、2006年に独資となる現法人を設立しました。従業員は153名、うち日本人駐在員は7名です。当社の工場は、中国における中核拠点としてレーザー加工機、五面加工機、複合加工工作機械などを有し、部品加工が可能な一貫生産体制を備えた工場です。これまで以上に高品質、低コスト、短納期を実現し、お客様に安心してお使いいただける生産システムを提供しています。

(弊社)

従業員数に対して駐在員が若干多いように感じますが、やはり管理部門は主に駐在員が担当しているのでしょうか。駐在員の役割についてどのように考えていますか。

(平田董事長)

各部門のトップは全て中国人社員に任せています。日本人駐在員は顧問として中国人部門長をサポートする役割を担っています。

(弊社)

御社では、中国人社員育成のため、どのような取り組みをしていますか。また採用の際にどのような人材を重視していますか。

(平田董事長)

人材育成の取り組みとしては、日本の本社や工場で最新の技術を学ぶ研修を行なっています。また、日本人顧問からの教育も日常的に行なっています。新入社員に対しては、大学で何を学んで来たかよりも、本人のやる気を重視しています。特にチャレンジ精神が大切で、そういう人は入社してから伸びてゆき、会社の人財になってくれます。

 

◆◆◆  日本式の業務の進め方は変えない  ◆◆◆

(弊社)

平田董事長は、2014年から董事長として現地法人の経営を見てこられて、異文化のコミュニケーションの難しさは感じますか?

(平田董事長)

生活習慣の違いにつては、「郷に入りては郷に従え」で受け入れました。仕事のやり方に関しては、これまでの総経理たちがしっかり教育してくれていたおかげで、日本との相違は感じませんでした。工場に訪問された方々から、「どうしたらこんな日本的に振舞えるようになるのですか。」とよく質問されるので、直接社員に尋ねると、「慣れました。」と答えるんです。当社では、朝礼や会議などを含め、ずっと日本と同じ業務の進め方でやってきました。

(弊社)

平田董事長は、熊本県人会の会長をされているそうですが、どの様な活動をされていますか。

(平田董事長)

熊本県人会では2ヶ月に一回のペースで懇親会を開催しています。ほかに熊本県から政治家が来た時の会合に出席します。

(弊社)

最後に、今後の展望をお聞かせ下さい。

(平田董事長)

今後急速に進むであろう中国の自動化ニーズに対し、分野問わず応えていきたいと考えています。日本や欧米では平田機工の名前はこの業界では知られていますが、中国国内ではまだ十分に認知されているとは言えません。中国でも平田機工の知名度を高めていくことで、社員のプライドや、やりがいにも繋がっていくと思います。ビジネスについては、やるべき事をきちんとやっていれば必ず結果はついてくると信じています。

(弊社)

興味深かったのは、よく中国では日本式は合わないので、中国に合うように変えるというお話をよく聞きます。御社は全く逆で、日本式を徹底してうまく管理されています。結局のところ、どのやり方が正解というのではなく、会社の方針としてこうやると決めたら、トップが変わっても基本方針が変わらず徹底されていれば、社員はそのやり方に「慣れる」のかも知れません。
平田機工様の自動化設備の先進さ、現場の整理整頓、そして社員から笑顔の挨拶など、日系伝統的な優れたこと、そのまま中国へ根付いて来ました。一方、製造業こそ、日々関わる労務法務関係中国独特な規制などについて、如何に技術出身の日系経営者はじめ、管理層に理解してもらうことが、目下の課題だと感じました。幹部管理力の底上げと社員の生産性を上げていくことに、これから中智も全力でサポートしていくよう、お別れの際にお約束しました。

 

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 【平田 正治郎(ひらた しょうじろう) 氏のプロフィール】

大学卒業後、大手機械工作メーカーに就職。1989年に平田機工株式会社に入社し、同開発本部半導体事業推進室次長兼半導体部次長、同事業本部半導体ビジネスユニット ロボット部長、同デバイスセンター長を経て2014年から現職を兼任し現在に至る。

 

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 【平田機工自動化設備(上海)有限公司 様 会社情報】

上海市奉賢区環城西路2728号
TEL (021)3365‐5610
FAX (021)3365‐5615

 

平田 正治郎 董事長1
平田 正治郎 董事長1

平田 正治郎 董事長2
平田 正治郎 董事長2

  
平田 正治郎 董事長3
 平田 正治郎 董事長3

インタビュー現場風景
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