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聞いてみなければ解らない!人物インタビューシリーズ

『日本航空公司上海支店 宮下 康 支店長 インタビュー!』2021/3/29

<strong><font style="font-size:19px">JALフィロソフィで日中の社員が心を合わせ疫病に立ち向かう </font></strong>

JALフィロソフィで日中の社員が心を合わせ疫病に立ち向かう

<strong><font style="font-size:19px">——日本航空公司上海支店 支店長 宮下 康 氏</font></strong>

——日本航空公司上海支店 支店長 宮下 康 氏


 
日本航空公司上海支店
支店長 宮下 康 氏

 

1985年に慶應義塾大学卒業後、日本航空に入社。入社後は札幌空港支店勤務、東京支店国際旅客販売部、客室業務部等を経て、10年よりインドネシアのジャカルタ支店長を務める。13年に帰任後、客室品質企画部部長を経て、18年より上海支店の支店長に就任し現在に至る。

 

◆◆◆ 72年の日中国交正常化の際、中国から贈られた2頭のパンダの輸送を担当 ◆◆◆

日本航空は、1953年に法律に基づき日本政府と民間の出資により、日本で唯一の国際線定期航空運送事業行う会社として設立された。

中国との関係は日中国交正常化が実現した年から始まる。「72年に日中国交正常化が実現した際、日中友好を記念して日本からは桜の苗木を贈り、中国からは2頭のパンダが贈られました。その時の輸送を担当したのが日本航空でした。そして2年後の74年に日本―北京間の定期便が開設されました」と宮下支店長は話す。中国から贈られた2頭のパンダは東京の上野動物園で飼育され、日本国内では空前のパンダブームが沸き起こった。

その後、87年に民営化され、好調な日本経済と日本人の海外旅行ブームを追い風にして順調に業績を伸ばす。

ところが、90年初頭にバブル経済が崩壊し、日本経済は長期低迷に陥ることになる。長引く不況とデフレによる価格破壊の影響を受け、2000年代に入ると経営状況が悪化し、2010年に経営破綻する。

そのような日本航空の企業再建は、京セラ株式会社の創業者であり名誉会長の稲盛 和夫氏に委ねられた。「稲盛さんは、「フィロソフィ」による意識改革と、「アメーバ経営」による組織改革を断行し、組織風土を根本から変革させ、日本航空の経営改善を率いてくださいました」多額の負債を抱えて倒産し、当時は再建不可能だと言われていた日本航空は、破綻からわずか2年あまりで黒字化を達成し再上場を果たす。


 

◆◆◆ 昨年は旅客需要が消滅するも、貨物需要が1.5倍に増加 ◆◆◆

日中国交正常化から2年後の74年に北京と上海に駐在員事務所を開設する。現在、上海支店では客室乗務員だけで200名以上も勤務しているが、規模が大きくなった現在も法人格を持たない駐在員事務所としているのには理由があると、宮下支店長は話す。「航空会社は、各国の政府から空港の発着枠を付与されて運用しています。そこで、別会社を設立してしまうと権利関係が複雑になるため、現地の拠点は法人化せずに駐在員事務所としているのです」

中国の経済発展にともない、日中間の旅客、貨物需要は毎年右肩上がりに伸びていく。

「上海は、当社が世界で最も多くの便を運航する都市であり、売上額も世界最大の海外拠点となっています。疫病の流行前は、上海-日本間の定期便を一日8便運航しており、旅客収入がその3分の2を占めておりました」

疫病の世界的な流行による日中間の往来制限は、売上げに大きな影響を与えた。「旅客需要は大きく減少してしまいましたが、中国はいち早く疫病の抑制に成功して経済が回復したおかげで、貨物収入が19年度に比べ1.5倍に増加しました。20年度の年度末にあたる今年の3月末までに、昨年度収入の50%程度の売上げを見込んでいます」昨年は最悪の状況の中で、中国経済の好調に助けられたと宮下支店長は話す。

昨年から世界的なコロナの流行により、ビザの発給が停止される。夏以降は、日中の感染状況が落ち着きを見せ、ビザの発給が緩和されるが、航空便の制限があるため、航空チケットの予約が取れず、多くの駐在員や日本人学校の教師や生徒が上海へ戻れない状況が続いていた。そこで上海日本商工クラブ、ジェトロ上海、JTB、ANA等と協力し、長寧区政府の支援を受け、9月15日に東京から上海へのチャーター便の運航を実現する。


 

◆◆◆ 安心して搭乗いただくため、「JALコロナカバー」を無償で提供 ◆◆◆

日中間の運航状況について、「疫病流行前、中国大陸へは北京、天津、上海。大連、広州の5都市に就航していました。そのうち売上の半分は上海でしたが、現在は日本から大連へ週に4便、広州へ週に1便を運航しています」と宮下支店長は話す。

大連行きの搭乗客の中には、大連を経由して上海へ戻る駐在員も少なくないという。「大連は小さな都市のため、就航する航空機の便数が少なく、比較的に品質の良いホテルが隔離ホテルとして安定的に手配されています。そこで、まず大連のホテルで入国後の隔離期間を過ごしてから、上海へ向かわれるお客様も多いようです」

日本航空では、乗客に安心して利用してもらうため、感染防止の取り組みに力をいれている。「定期的な清掃・消毒、客室乗務員のマスクと手袋の着用等の感染予防措置のほか、「JALコロナカバー」として24時間無休の医療・宿泊手配に関する相談対応や、渡航先で新型コロナと判定された場合の医療費の補償を、無償かつ事前申し込み不要で提供しています」

この「JALコロナカバー」は、2020年12月23日から2021年6月30日搭乗分までの期間限定で提供している日本航空独自の安心サービスだ。


 

◆◆◆ 「JALフィロソフィ」で異なる国や民族の社員が心を一つに ◆◆◆

異なる国や民族の社員が力を合わせ一緒に働くためには、制度だけではなく心をひとつにする必要があると宮下支店長はいう。「経営破綻後、JALのサービスや商品に携わる全員がもつべき意識・価値観・考え方として、JALフィロソフィを策定しました。これにより、様々な国や民族の社員が同じ価値観をもち、判断および行動をしていくことで、全員が心を一つにして一体感を持てるようになりました。上海支店では、毎週「JALフィロソフィ」の1項目をとりあげ、それについて「こう実行していこう」といった発表を行っています」


 

◆◆◆ 疫病収束後に向けて、インバウンドの強化に取り組む ◆◆◆

疫病収束後へ向けての展望について、「上海路線は、もともと観光目的の中国人客の割合が高い路線でしたので、疫病が収束すると、観光での利用が大幅に増加するだろうと考えています。疫病流行前からインバウンドに取り組んでいましたが、今後は疫病収束後に向かってより一層強化していかなければならないと考えています。また、旅行会社を通したご利用のほか、マイレージクラブなどを通して中国のお客様と直接に接する機会を作っていきたいと思います」と宮下支店長は語る。

インタビューの最後に、将来日中間の往来が正常化した際に、ぜひ中国人に訪れて欲しい地域を宮下支店長に尋ねると、青森県と島根県をあげた。「青森県は、リンゴの産地として有名で、山や湖などの美しい自然に恵まれ、良質な温泉も豊富です。島根県では、出雲大社に訪れていただきたい。日本のお寺など多くの伝統建築は、中国から伝わった建築様式で建てられていますが、出雲大社は日本の伝統的な建築様式で建てられています。また、出雲大社に祀られている神様は縁結びの神様として有名です」


中智の感想:宮下支社長様は、入社してから国営から民営化、経営破綻そして再生、コロナでの運休など沢山の苦しい経験をされ、冷静沈着で内心の強さを言動から十分に感じられました。航空業界は、疫病の流行により深刻な影響を受けています。飛行機を飛ばせない中で、一部の従業員はレストランなどの全く異なる業界で働いたり、上海市内の美術館で案内係のボランティアをしたりして、各自が会社や社会に対する貢献を考えて取り組まれています。JALフィロソフィをベースに、社員の意識・価値観がひとつになることで、益々強い会社になると信じています。