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聞いてみなければ解らない!人物インタビューシリーズ

『コニカミノルタ弁公系統(中国)有限公司 中田 裕司 董事長兼総経理 インタビュー!』2021/8/27

<strong><font style="font-size:19px">障がい者スポーツ支援で社会に貢献する </font></strong>

障がい者スポーツ支援で社会に貢献する

<strong><font style="font-size:19px">——コニカミノルタ弁公系統(中国)有限公司 董事長兼総経理 中田裕司 氏</font></strong>

——コニカミノルタ弁公系統(中国)有限公司 董事長兼総経理 中田裕司 氏


 
コニカミノルタ弁公系統(中国)有限公司
董事長兼総経理 中田裕司 氏

 

1989年関西学院大学経済学部卒業後、ミノルタ株式会社(当時)に入社。95年にミノルタ香港北京事務所の所長に就任し、中国市場の開拓に携わる。2001年に日本へ帰任後、2004年から18年まで、香港、タイ、インド、欧州、の各現地法人と事務所のトップを歴任する。18年に再び日本へ帰任し、上席執行役、地域営業統括部長を歴任後、21年に現職へ就任し現在に至る。

 

◆◆◆ 障害者アスリートの厳しい練習に打ち込む姿が、社員の励みに ◆◆◆

コニカミノルタ株式会社は、1873年に創業したカメラ、写真用フイルムを主力とするコニカと、1928年に創業したカメラ、複写機を主力とするミノルタが2003年に経営統合したことにより誕生した。その後、07年にフォト・カメラ事業を終了し、現在はデジタルワークプレイス事業、プロフェッショナルプリント事業、ヘルスケア事業、インダストリー事業等のより専門性の高い領域で事業を展開している。グループ全体の従業員数は約4万人、150カ国でセールス及びサービスを展開している日本を代表するグローバル企業だ。


コニカミノルタは、長年にわたりスポーツ支援を続けている。同社の陸上競技部は50年の歴史を有する名門チームであり、これまで2名のオリンピック選手を輩出している。2008年の北京オリンピックでは、松宮隆行選手が日本代表としてトラック5000m、10000mの2種目に出場を果たしている。

「長年海外で仕事をする中で、世界で活躍する選手たちの姿をみると、とても励みになりました」と中田董事長兼総経理はいう。

中国法人であるコニカミノルタ弁公系統(中国)有限公司でも、スポーツ支援事業に取り組んでいる。

「当社は、技術で社会に貢献することを目的としてきましたが、身体にハンディキャップを持つ人々の支援においても社会に貢献できないものかと、以前から検討していました。そこに、中智公司と上海市障がい者スポーツ訓練センターが提携して展開する「円夢計画」(ドリームプロジェクト)の存在を知り、参加することを決めました」と中田董事長兼総経理は参加の経緯を語る。

2021年7月23日、疫病の影響で1年延期されていた東京オリンピックが無事に開幕し、世界中の多くの人々に感動を与えた。そして8月24日から開幕するパラリンピックに、コニカミノルタ弁公系統(中国)に所属する王洋選手が車椅子レース競技の中国代表として出場する。

7月、王洋選手の東京パラリンピック出場の知らせを受け、中田董事長兼総経理と社員の代表ら一行は、東京パラリンピック開幕に先立ち、選手たちを激励すべく出発前の選手たちが練習に励んでいる奉賢体育センター運動場を訪れた。

同センターでは、選手たちの練習風景を見学した後に壮行会が催され、コニカミノルタグループを代表して中田董事長兼総経理が挨拶を行い、コニカミノルタ株式会社 山名昌衛 代表執行役社長兼CEO及び日本本社の同僚たちからの応援メッセージを紹介し、選手の皆さんへ心の籠った記念品を贈呈した。



障害者アスリートを支援する事の意義について、中田董事長兼総経理はこう話す。「私たちが彼らを支援しているのではなく、むしろ彼が私たちを支持してくれている。私たちが彼らを励ましているのではなく、むしろ彼らに私たちが励まされている。そのように感じています。彼らの頑張っている姿を見ると、社員たちも、よし頑張るぞ!という気持ちが沸いてくるのです。私たちが社会に貢献しているのではなく、彼らが会社に貢献してくれているのだと、そう心の底から感じています」

 

◆◆◆ 中国事業立ち上げに奮闘した25年前、あれから再び中国へ ◆◆◆

中田董事長兼総経理は1989年にミノルタ株式会社(当時)に入社する。技術サービス部、海外営業部を経て、95年に中国事業立ち上げのため、同社香港法人の北京事務所へ駐在することになる。「当社の中国進出は、同業他社と比べ比較的に遅かったため、日系企業や大都市のお客様は既に他社と契約していました。そこで、地方都市から開拓する戦略を採り、製品カタログを持って全国を飛び回りました」


今年の7月、あれから20年ぶりに再び中国へ赴任することになった。「1995年に中国へ赴任し、先輩方や現地社員と一緒に一からコニカミノルタの立ち上げに奮闘していた当時、私はまだ20代の青年でした。2001年の帰任から20年の月日が経ち、今回は定年までの集大成として、30数年間の経験と知識をここで全て出し尽くし、新しいコニカミノルタを創りあげたいという思いで気持ちが高揚しています」と中田董事長兼総経理は語る。

 

◆◆◆ 隔離観察期間中は現地社員との交流に活用 ◆◆◆

中田董事長兼総経理は、上海へ赴任するため浦東空港へ到着後、指定ホテルでの隔離監察期間を過ごした。その時の様子を中田董事長兼総経理に尋ねた。「隔離期間中は、毎日テレビ会議と、Wechatで社員たちと交流していました。このことが、かえって事前にお互いを知る良い機会となり、実際に出勤した後の業務の円滑に役立ったように感じます。生活面では、秘書にWeChatPayの使い方を教えてもらい、自由にフードデリバリーを頼めるようになってからは、生活が楽しくなりました」これから中国へ赴任する駐在員に対して、少しでも隔離期間をストレスなく過ごすために、あらかじめ翻訳、WeChat、支付宝などのアプリを準備し、WeChatや支付宝に社員から幾らかお金を送金してもらうとフードデリバリー等の支払いに便利だと中田董事長兼総経理はアドバイスする。


昨年から続く疫病の働き方に対する影響について、「世界的に疫病の収束が見通せない状況が続いていますが、コニカミノルタでは、疫病流行前から、『いいじかん設計』というコンセプトで、場所にとらわれない、紙にとらわれない働き方を研究し、リモートワークや電子ワークフローをお客様に提案しており、自分たちでも実践していました」そのため働き方や業務に大きな混乱は生じなかったと中田董事長兼総経理は話す。

 

◆◆◆ 中国の特色あるソリューションを提供したい ◆◆◆

インタビューの最後に、今後の中国ビジネスの展望を中田董事長兼総経理に尋ねた。「25年前、中国のオフィスは白黒のイメージで、あまり良いオフィス環境とは言えませんでした。中国へ進出した当時、中国のオフィス環境をカラフルに、より良くすることを夢に中国人社員たちと一緒に奮闘していました。20年ぶりに再び中国へ赴任し、今度は中国のお客様が求めるものは何かを考え、様々な中国企業の開発パートナーと協力しながら、中国の特色あるソリューションを提供できる会社にすることを夢に奮闘してまいります」


中智の感想:中田董事長兼総経理は、中国事業の基礎を固めた後、2001年に日本へ帰任されました。その後、タイ、インド、欧州法人等のトップを歴任し、2021年に再び中国へ戻ってこられました。25年前に中国へ赴任した当時は、中田様は初めて海外駐在を経験する20代の青年であり、多くの感動や驚き、苦労がありました。あれから20年の月日が経ち、数多くの海外駐在経験を積まれ、一流の経営者として再び中国へ赴任することになった際、あの時のような感動はもう得られないだろうと思っていたそうです。しかし、中国の会社を訪れると、王暁燕人事部長をはじめとする、あの頃に入社した懐かしい社員たちが、当時と変わらぬ情熱を抱きながら働いていることに感動を覚えました。初心を忘れず大切に守りながら、コニカミノルタの新たな百年の発展の基礎を築くべく、中田董事長兼総経理は情熱を燃やしています。