国内の人材「若苗」は、なぜ海外を選ぶ?(2011年1月14日)
2011年1月14日
国際学術評価プロジェクトの権威ある測定・評価によると、上海の15歳の子供の読解力、数学と科学の学力は評価対象65地域の中でトップを占めているという。3100余りのサンプルをカバーするネット調査研究データもまた興味深い調査結果を発表している。取材を受けた8割の親が子供を海外へ留学させる考えであり、更に4割以上の親は子供を海外の大学で勉強させることを選んでいる。
優秀な学生が、もっと良い教育、学術研究の環境を求めるのは当然のこと。しかし、多くの学生がわざわざ海外の大学を選ぶということは、国内の大学における「教育の質」に対する一種の面子の問題ではないだろうか。大量の教育資源を消耗し、育成した「若苗」たちが、次から次へと海外の土壌を選び、そこに根を下ろして花を咲かせる…このままでいけば、我が国の「人材流動化に伴うセキュリティ」に危害が及ぶのではないか?
名門校300人の卒業生のうち180人が「小留学」
教育部の公布したデータによると、2009年の高校卒業生は全国で834万人、そのうち750万人が大学入試の参加登録を行った。これによると84万人の学生が大学入試を放棄していることになる。その中で留学のために試験を放棄した者が全体の21.1%を占めることが分かった。
留学コンサルティング業界のデータによると、ここ数年来、優秀な高校生が海外留学を選ぶ比率はますます拡大し、「国内で大学を不合格になった者が海外へ行く」という見方はすでに時代遅れになっている。教育の質の高さで知られる上海の有名高校では、去年の卒業生300人のうち180人が海外で学ぶことを選んでいるというのだ。その中の多くは3ヶ所以上の海外名門校の入学通知書を手に入れている。
上海のモデル高校でも一部の学生は「国際大学入試」に狙いを定め、米国SAT試験と英国A―Level試験の戦いに備えている。前者は毎年7回のテストがあり、学生はその中で最も成績の良かったものを提出すれば、同時に多くの大学に申請することができ、もし複数の通知書を受けとった場合は、比較後に最終選択を行うことができる。後者は英国ケンブリッジ大学国際試験委員会システムにより、世界160余りの国と地域にある数千校の大学において合格の標準とされる。
上海中智国際教育コンサルティング会社の副社長、倪東民氏は、出国し、本科を学ぶことを選ぶ学生の中には、高校の新卒生だけではなく、多くの国内大学本科生も含まれている、と話す。同氏の「本科に8年半費やした」一人の学友に対する記憶は生々しいようである。
この男子学生は当市の「985プロジェクト」のひとつの大学で4年生となり、留学経験のある先輩と深く交流し、(留学がいかなるものであるかを)よく理解した後、自分には国外の教育環境の方が適していると感じ、間もなく手に入る国内名門校本科の卒業証書をためらうことなく放棄し、カナダで勉強する道を選んだ。言葉の問題のため、彼はまず現地の普通のブルック大学予科で学ぶ必要があった。1年後、彼は優秀な成績を携えてみごとにカナダで5本の指に入るマックマスター大学本科への入学申請に成功した。特筆すべきは、この男子学生の親も当市の「 211プロジェクト」のひとつの大学で教員を務めており、子供の決定に対して肯定的だった。
エリートの留学ブームは国内大学の教育に疑問を投げかける
専門家はこう指摘する。先進国の多くの大学における学術研究と教育環境は世界一流レベルで、グローバル化のもと、若い学生が自身の成長のために更に良い土壌を求めることは、過度に非難すべきことをではないと。学生が多くの経験を積むために海外の大学で勉強することは重要なアプローチのひとつである。しかし避けられないことは、多くの優秀な学生がわざわざ遠方の学び舎を求めるのは、国内大学の教育の質に対して懸念しているということ。ネット調査のデータもこの問題について以下のように説いている。36%の親は、海外の大学のほうがもっと良い教育システムを提供できると認識している。
「大学はすでに義務教育の範疇ではない。学生と親は学校を選ぶ際に時間、精力、お金を使って検討し、評価を行う。自身の成績がずば抜けている学生は選択の上で更にアドバンテージを持つ。この角度から見て、国内大学の国際競争力は劣勢にある」。21世紀教育研究院の副院長、熊丙奇はきっぱりとこう話す:優秀な高校生がこぞって留学をする、これは我が国の高等教育に対する一種の失望感の現れである。
データが示しているように、1999年を皮切りに、高等教育において、エリート向けから大衆向けへの段階的転換が大規模に推進されてきた。上海で、大学入試の合格率はすでに80%前後に達し、2009年、人口10万人に占める大学生は4318人、2012年には5140人にまで増えると予想される。学生数の激増に伴い、教師の需要も膨らみ、教育資源が希釈してくる。多くの大学が状況に適した教育モデルの探索を続けている。
ここ数年来、大学のメカニズムは、科学研究と社会サービスを多く奨励する傾向に傾いており、知らず知らずのうちに肝心の教育育成機能が疎かになっている。このような「指揮棒」の下で、教師は地位向上に努めなければならず、精力の大半を論文、出版、プロジェクト推進に費やさねばならない。一部の人は「副業で金儲け」、「商売に走る」ことを繰り返し……と様々な要因により、教壇での教育の質が差し引きされ、教師と学生間の重要な意思疎通は沈黙が支配的である。
同時に、国内のいくつかの大学本科は高校の教育体制の延長に過ぎず、教壇での教育は知識の植え込み方式で、明らかに学生の思考の革新と発展には役立たないものである。よって、「大学1年はリラックス、2年はアルバイト、3年はアパートを借りる、4年は何とか生き延びる」のフレーズが瞬く間にキャンパス内の流行文句となった。多くの学生が卒業後に「何も学び得ることが無かった」ことに気付いてしまう。
上海大学社会学部の助教授、胡申生はこう指摘する。学術の大家は大学の魂であり、彼らの学問の品行は往々にして大学の校風、学部の学風となり、若者たちが落ち着いて学問に勤しむための明るい灯火となる。しかし残念なことに、キャンパスにおける大家はますます少なくなってきている。
人材の争奪戦、「危機」には「機会」がある
国家戦略の局面に立ち、よく考慮すると、今の世の中は世界的競争であり、つまるところ人材の競争である。国家は大量の教育資源を消費して育て上げた苗が出てしまい、もし国内の大学が完全にこの群体を引き止められないならば、社会の発展、科学技術の革新のみならず、巨大な損失となる。
熊丙奇はこう認識している。現在、国内の多くの大学は自主的に行う学生募集の政策において文章を作って、もっと多くの優秀な進学予定者を得ることを望みながら、実は学生を募集する技術のみに走り、教育の質的向上、育成制度の改善を見落としている。このような進学予定者の争奪戦は低い段階の話で、大量のトップの学生まで引きつけにくいのではないか。
大学のために1筆の帳簿をやめにする:1000人の優秀な高校生が出国し、留学を選ぶと仮定して、内陸トップの20の大学に割り振ると、各大学は50人の優秀な学生を失うことになる。毎年の数千人に上る学生募集の総量に比べると、この数字は一見「取るに足りない」ように見えるが、しかし、もし「国内で一流」という自らの陶酔に浸り、原因を自身ら究明せずに放っておけば、恐らく流失の影響はますます拡大し、更に多くの優秀な学生を失うことになる。
唯一、優秀な学生と優良な教師が互いに推進し、一流の学術研究を重ねることで、はじめて大学を一流に成し得る事ができる、ということを知るべきである。多くの大学の科学研究は、学生の資源に頼っており、一旦このような雰囲気と資源が消失すると、これらの「先端大学」は瞬く間にその栄光を失うことになる。大学の競争力は更に弱まり、そのことがまた高校生の吸引力不足を招く。このような悪循環に果てに発展の前途があるのか憂える。
専門家はこう認識する、この現状を変える必要があるし、またそれは一朝一夕で成し得る事ではない。国内の大学はまず危機のありかを理解するべきで、それから「危機」の次に「機会」を見出す。特許の論文、プロジェクトの資金といった上調子な競争から下り、落ち着いて教育の質を高めること。育成構造の改革を通じて、学ぶ過程で学生にもっと多い選択権を与え、人材の自由な成長をサポートする。
同時に教師へのバックアップシステムとして、真に教壇の上で人を育てることに力を注ぐ教師のために、もっと多い発展の空間を提供する。長期に渡って教育の質を高めることを堅持し、絶えず改め考えることを繰り返し、もっと良い教育サービスを提供することで、はじめて更に多くの優秀な学生を引きつけることができるのではないか。
出典:解放日報