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在中日系企業の賃金制度に関する考察--日本企業の賃金制度の変化と今後(1)

在中日系企業の賃金制度に関する考察--日本企業の賃金制度の変化と今後(1)(2013/4/12):

 在中日系企業の賃金に関する文章を書こうと思うならば、在中日系企業の賃金制度の現状、特徴を理解し、日系企業における賃金制度の形成及び変化に明るくならなければならない。その源流を探ることで、在中日系企業の報酬制度への理解を深めることにより、問題の解決を容易にすることができるのである。

 まず、日本企業の賃金制度及びその歴史沿革について解説しようと思う。

 日本企業の賃金制度は、各企業が日本国の「労働基準法」及び「最低賃金法」に基づき自身で具体的に制定している。日本政府の賃金管理は、法律の制定によるのみならず、必要な基本労働条件の制定、企業への賃金調査・統計データ報告、企業への監督指導から内部分配まで徹底している。この点から、日系企業が早くから外部の賃金データを参照している伝統を見て取れる。

 日本企業は主に以下4点を考慮し賃金を支払っている。

 まず一つ目は生活保障である。企業は年齢、扶養義務のある家族の人数、、住所など各従業員の生活に影響する要素を考慮し、従業員の基本的生活を保障するだけの賃金を決定している。賃金水準が比較的低い場合において生活保障は特に重視される。家族手当、住宅手当、年功序列などはこれを考慮したものである。

 二つ目は企業への貢献である。従業員の企業への貢献度により賃金の額が決まる。貢献度は従業員の能力、業務内容、業績などによって量られる。三つ目に労働力の市場価格、四つ目に企業の経営能力と続く。

 従業員の賃金アップは、毎年春に集中する労使交渉、俗に言う「春闘」により決定される。欧米と違い、日本の労使交渉は企業内部によるもので、業界の「協会」が、企業内部労働組合の春闘におけるリーダー的作用を担っている。必要とあれば政府は春闘を主導すると共に、起こりうる問題への調整と仲裁を行う。従業員の賃金における現金収入と非現金収入の割合は、現金収入がその80%以上を占める。現金収入は基本賃金のほか、各種手当て、ボーナス、時間外手当で構成されており、基本賃金外の収入が占める割合は20%程度である。この点から、何故現在の日系企業において固定賃金の占める比重が比較的大きいかを容易に見て取れる。

 手当てには職務手当、交通手当、家族手当、皆勤手当、調整手当などの5種類がある。非現金収入とは、法定及び法定外の福利厚生、教育訓練などその他の費用を指す。法定の福利厚生には健康保険、厚生年金、雇用保険、労災保険、児童手当などがあり、法定外の福利厚生には退職金、住宅手当、医療補助、食費、娯楽費、企業保険負担金、労災時の追加補償およびその他費用を含む。

  1、日本企業における賃金制度の沿革

 日本企業における第二次世界大戦以降の、賃金制度の変化の過程は大まかに分けて1945~1955年、1955~1975年、1975~1990年、90年代以降の四段階に分かれる。基本的に10~20年を一つの周期としており、これは賃金制度の変化と経済発展の段階に密接な関係がある。

 1945年~1955年は戦後の混乱期であった。社会の混乱、労働力の過剰、ハイパーインフレが労働者の生活維持を困難なものとしていた折、企業が採っていた各種手当てやボーナスは労働者の困難を緩和するものであった。この賃金分配方法による生存型賃金制度は、戦時中の年功制度に取って代わるものであった。

 学歴や業務内容は賃金基準を決定付ける重要な要素ではなかった。生存賃金制度は原則年齢や扶養家族の有無により賃金を決定し、労働者の最低限の生活を保障するものであった。この賃金制度は生活保障賃金、勤続年数賃金と家族手当、地域手当で構成されていた。生存型の賃金分配原則は、戦後の年功序列制度形成の基礎となっていく。

 1955年~1960は日本の戦後復興期であり、60年以降日本は高度経済成長期に突入する。戦後十年間の成長を経て、日本企業の生産体制は軌道に乗り始めた。日本政府は電力、鉄鋼、重機、造船、化学工業、自動車などを主要産業とする政策を打ち出し、日本重工業の発展を促進した。賃金水準が上がるにつれ、資本コストは拡大し、単一的な生活保障賃金制度は既に発展の余地を残していなかった。政府の充実した就業政策の下、企業は若年労働者の雇用安定と技術の発展のため、我々も良く知るところの年功序列制度が徐々に形成されていった。企業は労働者へ毎年定期的に賃金を上乗せし、労働者の年齢が高くなるほど、勤続年数が長くなるほど、仕事の熟練度も賃金も上がっていった。

 70年代後半に入り、日本経済は安定成長期に入った。日本政府は労働密集型及び資源消耗型産業から知識密集型産業への転換を押し進めるため、産業調整の過程において、労働者への訓練や研究開発に対し財政政策による援助を行った。企業は労働者の創造力発揮を奨励するために、能力給をより重視するようになり、大企業主体で提唱する職能給制度が発達し始めた。職能給とは、業務執行能力を基礎として等級に分け支払われる賃金だが、実際は年功序列の色彩を強く帯びたものであった。

 90年代以降日本経済は低成長期に入る。日本政府は産業機構を調整し、IT大国の確立を成長目標とした。各産業間の労働力調整の為に、小泉内閣の考え方は、職業訓練を全力でバックアップし、雇用保険制度を整備するとともに、各種多様な就業政策を行う、というものであった。外部の政策環境と企業の経営環境の変化に伴い、企業の能力主義制度賃金制度を促進させるために改革を行い、中間管理職及び技術職へ年棒制と成果主義を導入した。

  

 以下 次号(メルマガVOL5)に続く(2013.5.15発行予定)

  次号では
    2.年功序列制度の特徴 
    3、能力主義制度と成果主義の特徴 
    改革の方向性 などに関して論述します。