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5月19日《壁を越えて橋を架ける人 中日橋梁編》開催のご報告

報告文(中文)
 

  2021年5月19日(水)、中智日本企業倶楽部智櫻会『壁を越えて橋を架ける人 中日橋梁編』を中智活動にて成功裏に開催しました。

  交流会には、日立金属、リンナイ、エクセン、イオントップバリュ、クボタ、三井住友海上火災保険、旭化成、一実貿易、中村精密金属、RGF、バンドー、ナ・デックス、サクラクレパス、福桑精機、マタイ貿易、プライミクス、日亜意旺、藹司蒂電工材料、清和国際貨運、住化電子、欧応恵、蘇州堀内、ワンジーテクノロジーズ、野村総研、アパマンショップ、クレハ(中国)投資、オカムラ、日光化学、椿本商貿、キオクシア等の会員企業から各事業部及び責任者40名余りにご参加いただきました。


  はじめに、中智日本企業倶楽部智櫻会の馮串紅部長から、参加者の皆さまに交流会の趣旨を説明しました。

  中智日本企業倶楽部智櫻会の設立当初、会員企業の人的資源に関する問題の解決をサポートし、定期的に人事労務シリーズの講座を開催していました。しだいに企業の高級管理層との交流活動が増えてゆき、今日ではより多くの社会的責任を負うようになりました。一人ひとりの会員は、中日に橋を架ける使者として、日本本社と日々連絡を取り合っています。私達のビジネス日本語シリーズもこのニーズに合わせて誕生しました。同時に、日本本社に対して、どの様に中国を紹介すればよいのでしょうか?時代と共に変化する中国をどう話せばよいのでしょうか?日中関係の起伏が激しい中で、私たちの声が無視されたことはありますか?私達の仕事がリスクのために拒否されたことはありますか?私たちの心が混乱し戸惑うときはありますか?

  そこで本日は、中日をつなぐ橋を建設してこられた俞彭年先生をお招きし、橋を架ける人として、大先輩として、どのように日常業務の困難を解決すればよいか、どうすれば中日の橋の上をうまく渡る事ができるのか、我々中日をつなぐ仕事に携わる者に対し先生のご経験を話していただきます。


  俞彭年先生は、日本語教育の第一世代として、上海外国語大学の教授を務められました。また、第一世代の中日通訳事業のリーダーとして、上海市翻訳学会副会長を努め、上海市政府外事弁副主任として、中日友好の懸け橋を築きつつ難しい問題を次々に解決してこられました。そしてこれまで俞彭年先生が推進者、当事者として関わってこられた事業は、たびたびニュースで取り上げられてきました。先生は生涯にわたり、前の30年、日本人に中国を理解させ、後の30年、中国人に日本を理解させるという困難な事業に従事されてきました。


  80歳を超える俞先生は、上海外国語大学の教授職を22年間、上海市外事弁で16年間、長崎大学の教授職を9年間務めてきた経験を語りました。俞先生は、幼少の頃に東京で育ち、16歳の時に東京華僑総会の新聞で日本の知識人が経済建設のため祖国へ帰国するというニュースを知り、情熱に駆られ、両親に告げずに参加しました。1953年11月3日、船は天津の塘沽新港に到着しました。この時を、俞先生は今でも鮮明に覚えています。この日から俞先生の生涯にわたる事業が幕を開けました。

  南京第九高校と復旦大学での学生生活を経て、俞先生の中日交流事業に奮闘する生涯がスタートしました。当時、外国を理解する人は少なく、人々の考え方や方法は、改革開放に適応する事が難しく、俞先生も仕事で多くの困難に直面しました。何をしてよいか規定する条文も、手順を示す設計図もありませんでした。その様な中で、俞先生はリスクを恐れず、一歩一歩前へ進みました。先生は、「人々は自由に往来できるべきである」、「世界に上海を理解させ、上海に世界を理解させる」等の様々なアイデアを提案し、1986年の上海テレビ祭り、生花、ファッションショー等の活動は、当時の国民を驚かせ、大きな影響を与えました。中日友好都市の学生交流活動、外国人の白玉蘭栄誉市民賞の設置など、どれも前例はなく、すべては自らの勇気を頼りに手探りで河を渡り、中日のかけ橋を一歩一歩築いてきました。

  中日関係の未来に対して、俞先生は非常に楽観的でした。この数十年で中国は天地がひっくり返るような変化が生じ、物質は豊かに、出入りは自由に、人の考えは大きく進歩し、国と国の交流も非常に深くなった。我々一人ひとりが中日友好交流の使者であり、「和を以って貴しと為し、和して同ぜず、小異を残して大同につく」べきである。自分のやるべきことをしっかりと行い、歴史の法則に従えば、この道は必ず良くなると語りました。


  俞先生のお話しを聞いて、会員の皆さまは感動し、多くの学びを得ました。俞先生が経験してきた困難と比べると、私達の業務中での困難は大したものではありません。

  愛科昇振動機械(嘉興)有限公司の王建平総経理は、俞先生の起伏に富んだ経歴に心から敬服し、仕事における革新精神は学ぶものがあると述べました。

  日立金属投資(中国)有限公司集団管理本部の孫海雄本部長は、俞先生が外事弁に勤務していた当時の部下でした。俞先生から受けた丁寧な指導を思い出し、多くのことを感じました。俞先生の教えを自分の部下や後輩に伝えていきたいと述べました。また孫本部長は、我々一人ひとりに日本人の友人が10人いれば、日中友好交流の大きな流れが形成され、我々のような平凡の人間でも、世界を変えることができると述べました。

  上海リンナイ有限公司人力資源部の馬偉紅部長は、即興で「一代僑胞赤子心、築路架僑数十年、紅色事業激澎湃、中日之橋俞相聯」という詩を詠みました。詩には俞彭年先生の名前が含まれ、馬部長の中日交流の先輩に対する感謝の気持ちが込められています。日本人管理者や三千人あまりの従業員に対し、馬部長は今後の業務により自信がでてきたと述べました。


  今回の活動の主催者を代表し、中智日本企業倶楽部智櫻会シニアコンサル顧問の鲁亦雯は、「この交流会の成功には、俞先生の教え子でもあるビジネス日本語シリーズの講師を務める王建明先生のサポート、そして日本企業倶楽部智櫻会会員の皆様からのご支持なしに語ることはできません。さらに、八十歳を超えるご高齢にかかわらずご登壇いただいた俞彭年先生に感謝申し上げます。俞先生がおっしゃったように、文化に国境はなく、小は各個人から、大は国家まで、それぞれに長所と短所があります。私達は自分の短所を補うために、よく学ばなければなりません。中でも日本の「きめ細やかな」な態度は、日本企業倶楽部智櫻会のサービス基準でもあります。会員の皆様が、研修室に集まり、活動に参加し、多くの経験を共有し、共に中日交流の使者となることを願います」と締めの挨拶を述べました。



  日本語で日系企業管理者に対し中国の物語を伝えることは、すべての日系企業で働く者の使命です。私たち一人ひとりが日本人に中国を理解してもらうための窓口です。中智日本企業倶楽部智櫻会も、末永く中日の懸け橋として会員の皆様にサービスを提供し、交流プラットフォームとして交流を促進してまいります。これからも会員の皆様のニーズにマッチしたサービス内容を提供し、専門な知識ときめ細やかなサービスで皆様の多忙な業務をサポート致します。どのような形であれ、私たちはずっと一緒です。皆さまからの貴重なご意見、アドバイスをお待ちしております。今後とも、皆様のご支持とご参加をお待ちしております!